Type Something

「本当の自分で生きたい」
「もっと自己一致した生き方がしたい」
そんな言葉を聞くたびに、
私はいつも、少しだけ立ち止まりたくなります。
それって、どの自分のこと?
✔ 素直な自分?
✔ 我慢していない自分?
✔ 強い自分?
✔ 優しい自分?
✔ 自信に満ちた自分?
探せば探すほど、
「本当の自分」が分からなくなる人は、実はとても多いのです。
自己一致や本当の自分を求める人ほど、
こんな感覚を抱いたことがあるかもしれません。
どれが本心なのか分からない
選択のたびに迷ってしまう
気分や感情によって「自分」が変わる
以前は正しいと思っていた選択が、急に違和感になる
これは、あなたが未熟だからでも、
軸がないからでもありません。
むしろ逆で、
「ちゃんと自分を生きよう」としている証拠です。
ただ、多くの人が無意識に
ある前提を置いてしまっています。
それは——
本当の自分は、どこかに“答え”として存在している
という前提。
私たちは普段、
・感情
・思考
・性格
・役割
・価値観
これらを「自分」だと思って生きています。
でも、よく観察してみるとどうでしょう。
昨日は平気だったことに、今日は傷つく
以前は好きだったものが、急に合わなくなる
環境が変わると、性格まで変わったように感じる
もしそれらが「本当の自分」なら、
自分はあまりにも不安定すぎます。
つまり、
感情も、思考も、性格も、
「自分の一部」ではあっても、
“自分そのもの”ではない。
ここに気づくことが、
自己一致への最初の大きな転換点になります。
よくある誤解があります。
自己一致している人=
迷わず、ブレず、感情に振り回されない人
でも実際は、真逆です。
自己一致している人ほど、
ちゃんと迷うし、揺れるし、感情も感じます。
ただ一つ違うのは、
「どこから迷っているか」を知っていること。
感情から迷っているのか
思考から迷っているのか
恐れから反応しているのか
そしてもう一段深いところで、
常に“ある感覚”に立ち戻れるのです。
ここでようやく、
今回のテーマの核心に入ります。
真我(しんが)とは何か。
難しい言葉に聞こえるかもしれませんが、
とてもシンプルに言うなら、
感情でも、思考でも、役割でもない
それらすべてを「観ている意識」
です。
怒っている自分に気づいている「何か」
悲しんでいる自分を眺めている「何か」
迷っている思考を認識している「何か」
それは、
変わりません。
揺れません。
良くも悪くもなりません。
ずっと、在る。
これが、真我と呼ばれる領域です。
ここまで来ると、
最初の問いに戻ることができます。
ほんとのじぶんって、なに?
答えはこうなります。
「何者かになった自分」ではなく、
「何者にもなっていないところ」
頑張って作るものでも、
証明するものでも、
完成させるものでもありません。
ただ、
評価を一度置いて
正しさを一度置いて
役割を一度置いて
静かに、戻る場所。
そこに触れているとき、
人は不思議と無理がなくなり、
選択が自然になります。
これが、
真我に立脚した自己一致です。
劇的に何かが変わる人もいれば、
静かに「楽になる」人もいます。
共通して起きるのは、
選択に後悔が減る
他人の評価に飲み込まれにくくなる
無理な頑張りをしなくなる
「こうしなきゃ」が減る
そして何より、
自分を信頼する感覚が、理由なく戻ってくる。
これこそが、
真我から生きるということです。
本当の自分は、
見つけるものでも、定義するものでもありません。
あなたが今まで
迷ったとき
立ち止まったとき
何も分からなくなったとき
その奥で、
ずっと静かに在り続けていたもの。
そこに気づき、
何度でも戻れるようになること。
それが、
自己一致であり、
真我を生きるということ。
探さなくていい。
作らなくていい。
思い出すだけでいいんです。
無理せず、
流れに身を任せた自分も
流れに逆らった自分も。
丸ごと、『これこそ私』
って、受け入れてみてくださいね。
それでは、今日も、愛を込めて🫶
三石 真己
この記事を書いた人

三石 真己(Maki Mitsuishi)
自己実現コーチ/水と声と意識の専門家。
19年以上にわたり「意識と現実の関係性」「人が同じパターンを繰り返す構造」を探究。
心理学の科学的視点とスピリチュアルの知見を融合し、思考・無意識・感情・身体感覚に直接アプローチする対話×構造化コーチングを提供。
本ブログでは、自己実現が進む人と止まる人の違いを、体験と構造の両面から綴る。