Type Something

こんにちは!
三石です。
昨日のバレンタイン、皆さんはどんなふうに過ごしましたか?
私はチョコを手作りして、
でっかいハート型に食らいついていました 笑
今日も”愛”について。
「愛されたい」
とても自然な願いですね。
でも少し立ち止まってみてほしいのです。
私たちはなぜ、
こんなにも「愛する」より先に
「愛される」ことを望むのでしょうか。
恋が始まると、多くの人がこうなります。
・私はどう見えているだろう
・嫌われていないかな
・重くないかな
・選ばれるかな
相手を想うよりも、
自分がどう評価されているかが気になってしまう。
これは弱さではありません。
これは、『自分を守ろうとする』自然な防衛反応なんです。
愛するという行為は、
実はとても無防備です。
与える。
差し出す。
見返りを求めずに開く。
これは、強さがないとできません。
一方で「愛される側」にいようとすると、
・相手の期待に合わせる
・好かれるキャラを演じる
・嫌われない選択をする
という形になります。
これは一見、受け身のようでいて、
実はコントロールです。
「嫌われない自分」でいることで、
傷つく可能性を減らそうとしている。
愛される側でいることは、
実はとても“戦略的”なのです。
ここが核心です。
私たちが本当に欲しいのは、
「愛」そのものでしょうか?
多くの場合、それは
「私は価値がある存在だ」という証明。
愛されることで、
・私は魅力がある
・私は選ばれる
・私は足りている
と確認したい。
つまり、
愛されたい=自己価値を外から補強したい
という構造なのです。
この構造のまま恋をすると、
・既読がつかないと不安
・返信が遅いと価値が下がった気がする
・他の人と仲良くしていると比較してしまう
相手の行動が、
自分の価値メーターになります。
でも本来、
自己価値は他人の手に渡してはいけないもの。
外で測る限り、
心はずっと不安定なままです。
では、どうすればいいのか。
答えはシンプルです。
愛されるかどうかではなく、
「私はこの人を愛したいか?」
に立ち戻ること。
これは、とても怖い立場です。
なぜなら、
相手がどう出るかわからない状態で
自分の気持ちを選ぶから。
でもここに立てたとき、
恋は“承認ゲーム”ではなくなります。
自分の選択になります。
愛を与えると損をする、
と思っている人は少なくありません。
でも本当の愛は、
与えても減りません。
減るのは、
「見返り前提」のときだけ。
もしあなたが、
・こんなにしてるのに
・私は大事にしているのに
と苦しくなるなら、
それは愛ではなく“取引”になっています。
「愛されたい」と強く思う人ほど、
本当は、
「私はこのままでいいの?」
という不安を抱えています。
だから相手の好意が必要になる。
でも、
あなたの価値は
誰かの感情で決まるものではありません。
あなたがあなたを
どれだけ選んでいるか。
そこが揺れている限り、
愛されても満たされない。
もし今、
愛されたい気持ちでいっぱいなら、
それを否定しなくていい。
ただ、ひとつだけ問いを。
私はこの人に、
どう思われたいのか?
それとも、
私はこの人を、
どう愛したいのか?
主語を入れ替えた瞬間、
立ち位置が変わります。
愛される側を目指す恋から、
愛することを選ぶ恋へ。
そこに立てたとき、
恋はあなたの自己価値を奪わなくなります。
むしろ、
あなたの内側を強くします。
愛は、
証明ではなく選択。
今日は、その立ち位置で一日を過ごしてみませんか。
それでは、今日もあなたに、愛を込めて。
三石 真己
この記事を書いた人

三石 真己(Maki Mitsuishi)
自己実現コーチ/水と声と意識の専門家。
19年以上にわたり「意識と現実の関係性」「人が同じパターンを繰り返す構造」を探究。
心理学の科学的視点とスピリチュアルの知見を融合し、思考・無意識・感情・身体感覚に直接アプローチする対話×構造化コーチングを提供。
本ブログでは、自己実現が進む人と止まる人の違いを、体験と構造の両面から綴る。